運命なんて、その瞬間確定できるはずもない。わたしを重ねて始めて運命が確定する
「最初はビビッと運命を感じたんです。」
「運命の人に出会えた!ってそう思ったんです。」
だけど・・・
なんて、どこかで聞いたことのある話。
これが運命の出会いだ!
って思って購入したバッグも洋服も
瞬間そう感じて
「その運命のもの」と共に過ごす中で
また、色んな運命と感じられたモノと出会っては忘れ去られていく
それは運命じゃなくて「出会い」
「運命だと思ってそうした」事も、
毎日自分が変化を繰り返す中で「そう思えない」
というものにも変わって行く。
その瞬間に「たしかにそう思った」という事実は
間違いないだろうけど
それは単なる「出会い」にしか過ぎなくて
きっかけを得ているだけ
ただ、瞬間にそう思った事を大事に大切に
守って育てて、共にあり続けたとしたら
それはやっぱり
「運命だったんだ」と始めて確定されるんだと思う。
運命は選択の中にいつもあるもの
それはきっと
わたしを毎日積み重ねていく中でしか解らない。
今は単なる出会いの段階なだけでも
なぜだかいつも「わたしと共に有り続けていたな」という
事実に気づいた時に初めてそれが「運命」だと認識できるんだろう
それは目に見えなくても
いつも心の中にあった人かも知れないし
だれかの言葉だったかも知れないし
目に見えてそこにある
本や、雑誌や、バッグかもしれないし、人かも知れない
わたしはいつも今の自分が考えている自分の価値観は
たまたま出会った言葉で
自分がその様に選択して身に付けただけだと思っていて
私に影響をさせたくないことなら
すぐに手放してしまおうと思っている。
「コノヤロー頭から離れない」と思うことがあっても
たまたまそうなってるだけだと思ってもいる。
単に出会ってしまっただけだから。
でも、もし
嫌な自分でも大切に握り締めて共にあることを選んだなら
それが「わたしの運命」になるんだろう。
運命は変えられる
運命は変えられるっていうのはホント。
私が何を大切にしたくてどんな考えと共に居たいのか
そして、それをどうやって発展させて積み重ねるのか
その過程では「出会いしかない」けど
きっと、いずれ自分の「運命」に気づく時が来ると思う。
気づこうとしなくてもきっと「解る」時が来る
出会いで全ては決まらない。
運命は確定されていない。
選択し続けるものの中にいつもあるものが運命になっていく
だから、いつでも運命は変えられる
人には4つの痛みがある。中でも唯一他人が介入できない痛みとは
スピリチュアルペインについて
「神様がいるとしたら自分は救われるのだろうか」
幼少期に体験したスピリチュアルペイン
命の探求は痛みから始まった
魂の痛み「自分は何のために生きているのか」の答え
居場所も寝場所も特定しない生活で潜在意識が教えてくれたこと
安定しない生活で罪悪感が猛烈に湧いてくる
「あえてその体験をした」
潜在意識のメッセージに従って行くことでどうなるのか
わたしが潜在意識の学びに200万をかけた結果
欲しい洋服があったので
ネットで色々検索していました。
5000円のTシャツを買うのにう~~~~~~~~ん・・・・
と悩んで結局購入ボタンは押してません。
心が踊らなかったらしい。
でも、女性は洋服や宝石など、綺麗なものや可愛いものなどに
目が行ってしまいますね。それが本能と言うものだろうか
以前読んだ本に
男の王様は女性をたくさん所有する
(大奥なんかもそうだね)
女の王様は洋服や靴や宝石を所有する
そんな風に書いてありました。
(ちょっと簡単ですが)
男として、女として、確固たる地位を得た時に
力を現す象徴のようなものだったんでしょうね。
だけど、時代は変わっても
「たるべき姿」を現すために欲するものは今も変わっていないらしい。
ちょっと話しはそれましたが
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費やしたお金200万
潜在意識のことをを学ぶのに
200万を投資したことがありました。
その頃は
「知りたい欲」が止まらなかったんですね
自分を知りたい
人を知りたい
で、魔法みたいなものを手に入れてみたい。
って。
引き寄せの法則が魔法みたいで
興味深々だったんです。
瞑想したり、本を読んだり、ワークを実践したりと
のめり込みまくったと思います。
すると・・・
「知りたい欲」が止まらなくなりました。
まだ、「知りたい」
もっと「知りたい」
もうとめどなく「知りたい欲」が出てきます。
止められなくなるんですよ。
メカニズムが解るのって快感なんです。
それぐらい、「わたし」という存在は
興味深いものでした。
そして結果
わたしが200万投資して学んだことで
実際わたしが思っていたものは全て引き寄せました。
「思考は現実化する」というのは本当だし
わたしの経験でも間違いなくそうだと言えます。
200万の価値に相応するリターンもありました
お金で帰って来るものもありましたし
当然目に見えないものでも帰ってきました。
それが「感情」です。
引き寄せを実践するとき、
具体的に自分のなりたい状態をイメージする。
という方法がありますが
イメージの中の自分で臨場感たっぷりに
「その感情を味わう」ということが最も重要なんです
人が何かの体験をした時、その状態に
臨場感が湧くのは「感情」が伴うからです。
例えば
お化け屋敷に入ったとして
「怖ーーーー」とか
「ぎゃーーーー!」とか
そんな感情が沸かなかったとしたら
それってお化け屋敷にいるっていう臨場感ゼロでしょ。
そんな風に、そこに居るかのような
状態を作って感情が伴うことが引き寄せの鍵なのですが
これって、イメージした具体的な出来事は変わっても
そう感じた感情の状態をちゃんと引き寄せるんです。
「わたしが見えないものに200万円をかけた結果どうなったか」
投資したお金に見合う以上の
人生を楽しめる感情をたくさん味わえるような体験をしました。
捉え方もあるかもしれませんが
人によっては辛い経験じゃん!と思うことも当然ありましたけど
でも、それは自分を「知りたい」という
私の思い通りになった結果でもあります。
本当に彩り豊かな人生って
生命体の中で人にしかないものを
どれだけ活用したかで得られるのかも知れません。
友達がかけた電話を毎回スルーしてしまうワケ
大好きな友達から電話が掛かってくると
毎回時間を忘れて4時間ぐらいは話込んで止まらなくなります
楽しくて仕方がない。
話がどんどん前に前に進むし、後ろ向きな事は一切話さない
疑問があれば投げかけるし、それにも答えるし
彼女の語彙力や表現にいつも関心と興味があって
笑いが止まらない。
ただ、電話に出るのは5回に一回あればいい方。
毎回電話が鳴ってるのを気づいてもかけ直す事もしないし
かかってても出ない事もある(ひどすぎ・・)
だけど、ある時彼女に話たんです。
「電話。出らんで、ごめん
話ししたら、止まらんくなるから時間がいっぱい欲しいんよ
〇〇ちゃんと話すの楽しいけん、少しじゃ時間が足りんに」って
そうなんです。
彼女とはたくさん話したい。だけど、自分の状況的にその時間が
取れないと、話すの嫌なんです。
わがままなんです。
だけど、彼女は「愛があるね」と笑ってました。
でも、毎回なんか掛けてくれる。
「あ~電話かかってるな~」と思う。
だけど、なんか自分が整ってないと、彼女とは話したくないんです。
整ってるって、自分がダメな状態だと話さないって事じゃなくて
「ちゃんと話しを出来る環境」じゃないと嫌なんです。
片手間に話したくない相手なんです。
もしかしてわたしみたいに、、、他にもそんな風に思っている人が
あなたの周りにもいるかも知れません。
既読スルーされて、「何コイツ」と思っている人も
いるかもしれませんが、相手は相手のタイミングや思いがあって
そうせざるを得ないのかもしれません。
ここまで相手とのやり取りが高速になった今だから
前よりももっと「答えが早く欲しいんですけど。」って思うのも
時代なのかも知れないけど
答えを求めるのって辛いし
答えが出ない事に不安を感じているのって辛い
ずっとそのモヤモヤに意識を集中させつづけるのって
時間がもったいない気がします。
だったら、相手を待つ余裕を持った方が遥かに早い。
相手にも相手のフィールドで何かがあって
それは、あなたには何も影響するものではないから。
それと同じように、あなたのフィールド内で起こっている事も
相手には何も影響させない。
相互の関係性をよくするとしたら
もし、電話に出なくても、出られなくても
繋がる人にはタイミングよく繋がれるはず。と自分を信じた方がいいです
潜在意識には相手もあなたもなくて
「信じている」という言葉だけが入力されていくんですよね。
バイトのシフトを忘れた時に取り越し苦労をしている自分に気づく
朝、起きたら昨日確認していたはずの
バイトのシフトを忘れていて
「あれ?今日何時からだっけ?11時からだっけ?」
と、迷走し始める。
時刻はまだ8時。いずれにしても余裕はある。
バイト入ったばかりだし、連絡先はお店しか知らないし
電話したら「確認しなさいよ」と怒られるだろうし
と、クリエイティブに色んな妄想を始める。
それは取り越し苦労
まだ起こってもない事を「そうであるかのように」妄想して
考える事を「取り越し苦労」と言う。
だけど、一向にそれが頭から離れる事はなくて
あーでもない。こーでもないと考えつつ
最悪「確認しまちがえてました!」と逃れようと思い始める
嫌な気分はずっと続く。
ただ、単に思い込みでずっとその気苦労を続けているだけだから
さっさと思い切れば良いものを
人とはやっぱり誰かに嫌われたくないとか、よく思われたいとか
つまらない奴だと思われたくない。と思っているもんだから
バイトに行くが行くまで、それが気になって仕方がない
でも、結局のところ。
ぜーんぶ含めて自分が誰かに「つまらない奴だ」と思われたくないだけ
それを今すでにもう「そう言われている」かのように
妄想が止まらなくなっているだけ。
まだ、何も始まってもいないし、何も起こってもいない。
たった、朝出かける前の数時間で
臨場感満載に「自分をつまらない奴」にしてしまっているってこと
これが取り越し苦労。
最初から、出来る奴だなんて誰も思ってはいないし
そんなに意識をしてもいない。
全ては思い込みで自己暗示
自分が相手を観測して、「どう思われているか」気にしているから
相手から見られていると思い込んでいるだけ。
恐れていると、それを見せまいと
どんどんプライド高くなる。
プライドが高いのに、いつも恐れてる。そしていつも取り越し苦労してる。
結局のところそれが何なのかって
自分を認めて欲しいだけで、認められようと毎日
相手主導で頑張ってるだけ。
ゲームのストーリーの主役じゃない。
突然茂みから現れて、おどおどしながら主役に向かっていく
単なるキャラクターに過ぎなくなる。
取り越し苦労って結構やってるもので、
たったこのバイトのシフトの事でも
かなりな具合で
潜在意識に「自分はつまらない奴」をインプットしている。
そんな自己暗示なんて、今すぐやめてしまえばいい
何があっても
別にその事があなたを「つまらない奴」と決める材料にはならないし
決めているのは自分だから。
さっさと、忘れて
シフト間違ってたら「すみませんでした!!」と
平謝りして、、すぐ「次!!!!」反省も後悔もしない事です
食事の「場」って大切にしたい。子供の頃を回想して思うこと
うちのお母さんは「食べること」は「生きる事」だと
最近はそういうようになった。
お金がなくって食べるものが無くて
泣いて電話した時そんな事を言われた。
当たり前が当たり前に出来ない事の辛さを感じながら
それが「出来る」という事への猛烈な憧れも感じていて
こんど給料入ったら焼肉ひたすら食べてやるんだ。
ビールもたくさん飲むんだ。なんて言ってたけど
送られたお金を目の前にして、使う事が出来なかった。
1人でお腹いっぱい食べたってなんにも楽しくないって
そう、思ったからだった。
小さい頃は狭い家に6人で住んでいて
家族での食事は決まって6時だった。お父さんに行儀が悪いって
怒られる事もあったし、酒飲みのじいちゃんがめんどくさくて
一緒にご飯食べるのも、嫌だったときもあったけど
でも、みんな一緒にくだらない話をしながら
笑っている時もあった。
そんな時のご飯はおかずがどうであっても全然関係なくて
一緒にその「場」を楽しんでいるという空気が
安心出来て仕方が無かったと思う。
「食卓を囲む」とそこにいる人たちが
食事の場を意識で共用する。共にその空間を使って何かを感じている
相手の気持ちが伝わりやすくなる。
そんな風になります。
食事ってホントに大切です。
そして、何よりもその「場」がどうであるか?が
すっごく大切。
潜在意識は常に空間にある見えない意識のエネルギーを
受け取っているから