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I.O.公式ブログ「ストーリーを語ろう。人生のクリエイターになろう。」

それは友達じゃなくてただの知り合い。

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友達100人出来るかなー
100人で食べたいなー
富士山の上でおにぎりをー
 
って。

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そんなおったら大変や。
 
 
100人でおにぎり食べてたら狭いし。
 
 
誰がどこにおるか解らんから
 
結局周りの数人しか認識できんし。
 
 
ひねくれたツッコミを入れましたが
 
 
 
わたしには友達と呼べる人など
 
ほとんどいないからというヒガミじゃないよ。
 
 
 

友達じゃなくて「知り合い」

 
 
単に、同じ学校だった人だし
単に、同じ職場の人だっただけ
 
 
たぶん、その場を楽しめて
依存し合って、ワイワイやれて。。。と
 
 
それは友達だとは、わたしにはとても思えなくて
 
 
集団に帰属していないと「不安」と言う事だけで
 
繋がりを求めたり一緒にいるだけだと思ってる。
 
 
たしかに、人との繋がりは大切だし
かけがえの無いものだという事はわかる。
 
 
でも、友達。と言えるかと言うと
 
私にとってはそうじゃないことの方が多い。
 
 
それはわたしが学生時代にそう思ったのがきっかけ。
 
 
当時の私といえば
「どこかに帰属しているという安心」だけで
 
 
周りの同級生との関係性を繋いで来たし
なんかしらんけど、そうしていないと
1人でいる事が怖かったんだよね。
 
 
小学生の時いじめられてた事もあったから。
 
 
たしかに楽しい思い出。はあったけど
 
真に友達。と言えるか。と言うとそうじゃない。
 
 
 
そういえば昔、タモリさんがこんなこと言ってたっけ。
 
『友人なんて、いなくてもいいんだ。友人なんていなくても全然やっていける。何をもって友人と定義するかだ。パーッと騒いで、お喋りするぐらいの仲をそう言うのなら、俺にも友人は数えきれないくらいいる。』
 
 
 
確かにな。と思った。
 
 
今まで友達だと思ってた人は
 
友達ではなく単なる「知り合いかよ」って
 
16の時からだんだん思うようになっていって
 
お友達にこだわる事もなくなった
 
相手に対してわたしは何を期待してるんだろうって
 
疑問に思ったし、途中でそんな事考えるのも嫌になった。
 
 
たぶん、それぐらいの頃には
もう、生まれた町には居なかったしな・・・
 
 
歪みまくってるけど
 

友達と呼べる人って。

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わたしが
友達だと思っている人に対して思うことは
 
相手が
 
どんな状態であろうと
 
なんであろうと
 
つまらんくても
 
よくても
 
最高でも
 
最低でも
 
わたしは相手に対して何も変わらないと思っていて
 
 
ただ、そんな傾向だったのよね。
 
と笑って話せる。
 
もし、自分に何も力がなくて
相手の事を助けてあげられない状態だったとしたら
 
 
自分の時間を使って
そうなれるように勉強するし。努力もする。
 
 
でも、そんな事押し付けるつもりもないし
 
「やりたいからやってるだけだし」
 
 
相手に期待もしないし、もし仮に裏切られても別にしらん。
 
 
わたしを友達だって言ってくれる人には
この歪んだわたしに対して何て有難い事を言ってくれるんだ。
 
と思うけど、実際の所きっとその人にとっての私は
 
 
「知り合い」だろう
 
 
わたしがニートでその日暮らしの
ホームレスだったとしたら、きっと
 
 
相手はわたしの事を「お友達なんよーーーー!」と
周りには言わないだろうから。
 
 
相手によって、自分がどう見られるか?って気にして
 
 
この人が友達だって言ったら恥ずかしい。って
思うような相手なら
 
 
それは「単なる知り合い」だし「顔見知り」で
話のネタの一部になるだけ。
 
 
 
だから、わたしには友達と呼べる人などそんなにいない。
 
 
それよりも、一番身近で一生のお付き合いの自分と
真に友達になってる方がよっぽど気分がいいと思う。