潜在意識と自己暗示のサイト

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命ギリギリの交通事故にあって潜在意識を少し理解できた。

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今でこそ、なくなったけど
 
 
昔はよく交通事故を起こしていた。
ちょっと接触。なんてことは割と多い方で
 
 
母には
「そのうち命までやるよ」と
よく言われたものでした。
 
 
それは単に「安全運転しなさい」と言う警告
だったのでしょうが
 
 
ほんとに「死ぬかも知れない」と思うことが、
自分の身に起こるとは思いもしなかった
 
 
そういえば昔
 
 
斎藤一人さんだっただろうか。
事故を起こす側も起こされる側も罪悪感がある。
 
と言っていたのは。
 
随分昔のことでうろ覚えだけど、確かそんな記憶がある。
 
 
だけど、それはほんとにそうで
 
 
無意識のどこかで
「自分の存在価値を否定」していた私は
 
自分の命を傷つけることで
「生きている実感」や「価値」を見出していたことがあった。
 
 
過去の記事参照
 
 
20代の頃。
自分でも運転は結構気を付ける様に
なっていたから、事故をする事はなくなっていたけど
 
 
ある日
 
友人に誘われて子供と2人
彼女の車で野球の観戦に行こうとしていた。
 
友人とわたし、子供2人の計4人
 
彼女の軽自動車に乗り込み、自宅から国道に出た
 
 
その瞬間
 
 
右側からカーブを曲がって11tトラックが迫るのが見えた。
 
時間にしたら数秒のことを
スローで今でもはっきり覚えている。
 
目前にトラックが迫り
 
「もうだめだ。」と思った直後
 
衝撃と共にわたしの意識は消えた。
 
 
どれぐらい経ったんだろう。。。
 
 
意識を取り戻したら息が出来ず、苦しくて
夢中で「息をしたい!」と思い
 
呼吸を取り戻した瞬間
大量の血液が手のひらに落ちてきた。
 
 
運転席にいたはずの彼女はわたしの背中の後ろに
飛ばされて、意識はなく
 
 
猛烈に恐ろしくなって子供達を確認したら
幸い、子供達は無傷で無事だった。
 
 
子供達に声をかけた後
助けを求めようと曲がってしまった車のドアを
内側から一生懸命蹴って、外に飛び出したけど
 
わたしも出血のせいで
失神寸前でフラフラだった。
 
 
顔中に飛び散ったガラスが刺さって
全身が痛かった。
 
運転していた彼女は
丸1日意識が戻らなかったけど
 
幸い全員、命には別状は無かった
 
 
数時間前に「死ぬかも知れない」と覚悟した
自分は自宅にいて
 
変わらず子供達は目の前ではしゃいでいる。
 
 
不思議な光景だった。
 
 
その時はただ、「助かっている。生きている」と言う事実だけで
 
何も考えられなかったし、
 
 
その後、事故の恐怖からPTSDになってしまい
わたしの頭の中は完全に
 
「不安と恐怖」に支配されてしまったから
 
 
「それがなんであったか」
などと考える余裕も無かったけど
 
 
越えてしまった今だから、解ることがある。
 
 
自分の思考や習慣で
「自分の命を傷つけて来た」ことは
 
 
無意識で現実に
 
「命を傷つける」と言う状態に自分を向かわせる
 
 
大なり小なり事象は変わっても
 
 
「自分の命を大切に守っている存在」に
気づかされる瞬間を感じる様になっている。
 
 
それを認識しない限り、
 
そして、自分の価値観を変えない限り
出来事は変わっても、また
 
 
「命が守られている」と言う事に気づかされるような
 
現実はやってくる。
 
 
私の場合は
 
「生きてて良かった。ラッキー!」などと
 
軽く受け止められるような出来事ではない事態にまで到達しないと
 
自分を痛め付ける事をやめなかったんだろうと思う。
 
 
 
ただ、そんな体験もあったから
 
ますます、人の本質を理解しようと思ったし
 
知りたいとも思った。
 
 
それがあったから
 
事故や大きな災害に遭って心が傷ついてしまった人の気持ちも
 
少しは理解出来るようになった。
 
 
 
 
本当に人生に無駄な事など何一つないんだ