感情のコントロール。感情は時に拒否して、時に魅力的な存在。
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感情豊かな人って
「場を明るくする力」みたいなものを感じます
なんだかその人に惹きつけられてしまう
子供を見ていてもなんだかそんな思いにもなるし
あらあら・・・・
またまた・・・・・
なんて、思いながら何となく笑えて来て
次はどんな変化を起こすんだろうとワクワクして
見ていて飽きない。本当に魅力的。
***
だからといって、大人になってそれを
感情任せになんでも振る舞えるかといったら
そうでもなくて
出しすぎず、出さなすぎず
「感情嗜んでます。」みたいに
スマートな表現の仕方を求められるわけで。
出来るか!!!!!!!!!!!
わたしは大人のような子供ですから無理(逆コナン)
生きていくためには
この感情はもれなく付いてくるので
当たりもハズレも両方あるよね。だし
「ハズレなのでいりません。」と拒否できない。
ただ、拒否するのではなくて
「あ。ハズレだった。次。」と
軽やかにハズレをスルーしてしまうことも出来る。
ハズレくじを大事に握り締めて
「あ~なんでハズレを引いてしまったのだろう・・」
「この確率はこうだから、何百分の一で次は当たりが来るだろうか」
「このハズレくじはどこから来てどうやってなくそうか」
って考えてるのを想像したら
それって、とっても時間の無駄だと気づく
(きっと手放せないのは罪悪感)
***
わたしは大事に大事に握り占めている側だったので
もうしばらくハズレしか見ていません。って状態が続いて
バカバカしい事をずっとやってきた
「次。ありますけど」って
潜在意識がどんなにサインを送って来ても
目の前にある「この感情ハズレ。」と書いたくじを見つめ続けてきた
メンターは「感情は物質である」と言いました
エネルギーだからね。
目には見えないけど、たしかに命を回している
見事にエネルギーをストップさせていたのは
それを見つめ続けて、握り締め過ぎて、次次に
やってくる流れを止めてしまっていたんだ。
そして、あれこれ考えて発展させて感情を増幅させる
詰まって当然。
人には、本当に辛い出来事があるし
立ち直れないと感じるほどの挫折もある。
自分はもうだめだと絶望するときもある。
そんな出来事が
悲しみや、苦しみや、恐れや、不安の感情をもたらす
だけど、生きているからそれを感じているし
その体験は必ずだれかの役に立つ
だって負の感情の逆には
勇気や、愛や、喜びや、挑戦や、嬉しさや、楽しさがあって
それを受け取れる準備はもうすでに出来ている
もれなくあるのは間違いないから。
ただ、次。
そうやって感情を動かす。というだけ
簡単に出来ないという理由があるとしたら
そこにはきっと
それを感じ続けて自分をいじめる事で
本当に得たいものが得られると思っているのかもしれない
「それがなんであるか」
もしかしたら自分の本当に欲しかったものが
見えて来るかもしれません