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I.O.公式ブログ「ストーリーを語ろう。人生のクリエイターになろう。」

言い合いできない関係は殴り合える関係よりよっぽど辛い

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「無駄にケンカしない」

「言い合いになることがあまりない」

 

その関係が一番辛いと思った事がある。

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小さい頃はケンカしている親を見るのが

とても辛かったから

今日は平和であるように。と何も起こらない事を

望んでいたりもしたけど

 

それは、両親の

「自分を解ってもらいたい。」という感情の叫びみたいなものを

見ると、心の中でモヤモヤが増幅するのが嫌だったから。

 

 

親に大声で「ムカつくー」とか一回叫んでみたいと

どっかで思っていたようなきがする。

 

「昨日さ。親とケンカしたんだー。言い合いになってさ」

 

っていう話しを聞くと

 

「親に文句言うなんて、わたしにはありえない」

 

って思うのと同時になんだか羨ましくもあった

 

素直になれずに感情の抑えが効かなくなったとき

 

いつも本当に自分の気持ちを伝えたい人に

素直に「バカヤロー」とか「気に入らない」とか言えなくて

 

封じてしまった自分の感情の抑えが効かなくなったときは

 

ある日突然

「自分が積み上げた経験や学歴や人間関係を破壊する」

という行動でしか

 

自分の感情を吐き出せないという時期もあった。

 

相手を責める事はしない。だから自分を責める事で

安心する。それがずっと続いていた。

 

自分よりも優位と思った立場の人に対しては

ずっとそれが続いていく。優位って偉い人ってだけじゃなくて

 

親という

絶対的に自分より優位な存在に対してそうだったように

自分に何かを教えてくれる人や自分の存在を本当に

認めてもらいたいと思っている人に対して

 

いつもそんな風に自分の「あり方」を決めつけてしまうように

なっていた。

 

それがわたしの「あり方の癖」だった。

 

素直さへの転機

 

 

そんな私が

親以外の人に始めて叱られて殴られたのは18の時で。

 

ぶすくれて、斜めに世間を見てて、人のことなんてお構いなしで

「どうせ、この大人も自分の損得だろ」なんて思ってたから

当然、態度は傲慢だった。

 

わたしの態度やあり方に相当憤っていたんだろうな。

 

「いい加減にしなさい!」と本気で激怒して殴って・・

 

だけど、それから自分の事を

本当に「少しずつ」言えるようになった

 

まだまだ、習慣は残っていたし、癖は繰り返したけど

人と本気でぶつかる事がちょっとずつ出来るようになれた

 

親にはまだ言えない事が山ほどあったけど

 

言葉に出さなくても解るだろうという思い込みを外す

 

 

気づいたのは

何も言わなくても解るなんていう憶測めいた事なんて

単なる思い込みでしかなくて

 

人にはちゃんと伝えたい事は伝えた方がいい。

自分の気持ちを言い合えない関係なんて

ただの妄想ゲームにしか過ぎなくて

 

だったら、殴り合ってぶつかり合える方がよっぽど気分がいい。

 

相手の感情が拳になってでも、それを受け止められて

痛みを知る方がよっぽどマシ。

 

それもわたしと相手の新たな関係で気づいた事だった

 

何も言わず。何もせず。

ただ、自分の頭の中で、自分と相手の情報を処理して

決めつけて終わらせるなんて、辛すぎる。

 

本当に辛い。

 

本気で自分に向き合ってないからきっと

相手にも本気で向き合えない

 

あの時こう言えばよかった。この時こう言えばよかったなど

反省や後悔をすることになるぐらいなら

 

本当にその人と解り合いたいなら

 

一言でもいいから

「バカ」と呟いてみて欲しい。

「本当に好きだ」と言ってみて欲しい。

 

 

そのほうがきっと、

何も言わないよりも後悔しないですむから