潜在意識と自己暗示のサイト

I.O.公式ブログ「ストーリーを語ろう。人生のクリエイターになろう。」

自分に自信がないのは自我を信じているから

わたしは自分に自信がもてない。
 
 
それは、
 
 
自分自身が自分のことをどう思っているのか?
という意識や観念という
 
 
 

「自我」を 信じているから、自信が持てないだけ

 
 
 
人の観念って結構沢山あるもので
 
以前、ごく一部として渡された観念の分厚いファイル3つ。
 
 
それは自分に対して、他者に対して、社会通念
 
ことわざやしつけの一貫で聞いたことのある言葉まで
 
様々なものがありました。
 
 
これでごく一部か。。。。とゲンナリしたのを覚えています。
 
 
その頃わたしは
 
あるワークに取り組んでいて
 
まず、自分の観念を明確にして
 
「手放す」という毎日でした。
 
 
人の観念って
 
無数のイメージがくっついていて
その言葉を聞くだけでたくさんのイメージが湧いてきます
 
 

観念の形成

 
例えば
 
6つ。というと、
 
船が6艘、リンゴが6個、鉛筆6本、ハンバーグ6つ
 
などなど。。。あらゆるものがイメージ出てくるように
 
 
 
 
 
例えばそれが
 
「お友達とは仲良くするもの」
 
という観念となった時
 
 
この1つの言葉に対して、あるイメージが臨場感をもって
湧いてくるんです
 
その言葉に
 
経験や情報などによる、自分の心の働き(感情)が加わって
 
「お友達とは仲良くするものである」
 
と言うことを「当たり前」と思い込むという仕組みが
 
 
観念の形成。
 
 
さっきの数字の話に当てはめると
 
 
お友達と話すと面白ろいし
遊びに行くと楽しいし
同じゲームにはまっているし
助けてくれるし
いじめられなくてすむし
お母さんがそう言ったし
お友達は宝物って言ってたし
人生にはお友達が絶対必要って聞いたし
 
(↑↑船やリンゴなど)
 
 
だから
 
「お友達とは仲良くするもの」
 
(↑↑6つと言う言葉)
 
 
 
しかし、お友達を裏切る人もいるし、仲良くできない人もいる。
 
 
そんな人を観ると
 
 
「なんで仲良く出来ないんだろう?」
 
と疑問に思ったかもしれません
 
 
 
それはその人の観念の形成の過程が
あなたとは違うから。と言うだけで
 
 
「本人にとってはそれが当たり前のこと」
 
 
 
「自分に自信がない」と言うのも
 
自分が信じているものが
 
意識の方向性や観念などの「自我」だからそうなるだけです。
 
 
 
靴を揃えるのが当たり前
 
と言う人もいれば
 
靴を揃えないのが当たり前
 
と言う人もいる。
 
 
 
ごはんは正座をしてお行儀よくご飯を食べるもの
 
と、いう当たり前があっても
 
 
韓国人のお行儀よくは
 
膝を立てて食べることだったりする。
 
 
そうやって、考え方や違いは様々ある中で
 
自分の「固定された自我」だけを信じているから
 
 
 
自分に自信を持つ。と言う考えに抵抗があるだけ
 
 
 
自我は変化するし、成長もする。
まずは、自信が持てないと思っている自我を疑う事

答えを求めなくてもいいよ

体の調子が悪い。
 
 
ネットでそのような状態が何なのか?を検索
 
 
精神的に落ち込んでいる
 
 
なぜ、落ち込むのかを検索
 
 
グーグル検索で割とトップの方の
 
「答えが見つかりそうだと感じた」サイトをクリック
 
 
「なぜそうなるのか?」が出てくる
 
 
答えが出てくるまでおおよそ30秒ぐらい。
 
 
 
早い。
 
 
 
 
すぐに答えが出てくる。
 
 
だから、自分の目指している所に到達出来るのも
 
 
そのぐらいの「秒」で答えが出てこないと
 
 
ダメじゃん。なんて思いがちで。
 
 
ダメじゃん。。と思ったら
 
また新たに検索して
 
「秒」で今の気分がスッキリするような
 
 
答えを求め始める。
 
 
でも、それって結局の所
自分にしっくり来るかどうかという
 
 
主観による判断だし
 
 
 
あまりにも早く答えにたどり着くのに
 
現実となると、なかなか求めている答えに
 
 
たどり着かないから
 
 
モヤモヤした自分を感じたくなくて
 
 
今の自分を秒で気分よくさせる為に
 
 
過去の情報からの考えで
 
 
「まあ、そんなもんでしょ」などと
 
 
落ち着いて終わらせる。
 
 
挑戦しようとして、変化をしようとして
 
 
一旦その考えに触れてみても
 
 
即座にそうやって自分の意思を曲げてしまうのも
 
 
 
 
 
なによりも、焦って答えを求めようとしなくても
 
 
答えはおのずと出てくるもので
 
 
どうにかしようとすることもない。
 
 
人は立派になろうとか、素晴らしくなろうとか
 
知識人でいようとして
 
 
様々な情報を毎日検索している
 
 
答えを求めて何かを必死に探している。
 
 
その情報には「答えに繋がるきっかけ」があるだけで
 
 
明確な「答え」ではない。
 
 
 
有益な情報を目の前にしたときに
 
すぐに自分に答えが出るなんて、思い込みは外した方がいい。
 
 
そして、日々自分の変化の過程の中で
 
答えをすぐに求めようとせずに
 
 
自分のあるがままを
 
しばらく受け入れて観ることが大事で
 
 
そのためには自分の事実から目をそらすことは
 
しないほうがいい。
 
 
 
今の状況がどんなに辛くても
 
 
焦って答えを求めようとしなくてもいいよ。
 
 
 
それはすでに、用意されているから
 
 
 
今は、解らなくてもいいんだって思うこと
 
 
自分は今何を感じたいのか
 
 
その選択の方向をいつも明確に意識する事の方が
 
よっぽど大事なんじゃないかな。って思っている

わたしの願いが叶うとき

わたしの願いが叶うとき
 
 
 
願いを忘れている。
 
 
 
願いはもうすでに届いているから
 
 
 
もうとっくに忘れている。
 
 

 

ある日、ふと「願いが叶う瞬間」に出会う。

 
 
 
この空間の中にはあらゆる「わたし」の意識が介在していて
 
 
ふと、あの人の事を思うとき
 
タイミング良く電話がかかってくる。
 
 
 
そんな風に
 
 
意識は空間の中で通じ合っているから
 
 
 
だから、願いに執着しなくても
 
もうすでに届いているから「安心すればいい」だけ。
 
思考の中でいつも思っている事がいつも
あなた自身の願いであると、潜在意識は認識している。
 
 
 
 

今どんな状態でいたいのかだけを決める。

 
 
わたしの願いが叶うときには
 
 
良くも悪くもいろんなタイミングが重なって
 
おーーーーー!ってなったり
ガーーーンってなったりする
 
 
そして、ポッと、叶う。
 
 
そうそう、徐々に徐々に、、、重なっている
毎日が過ぎて、、、
 
 
「ポッ」と叶うんです。
 
 
で、「あっ」ってなります。
 
 
大切なのは「今どんな状態でいたいのか。」
 
それをずっと思考の中心にしていればいい。
 
 
 
思いも、願いも両方ともすでに届いているんだから。
 
 
あとは、
 
 
今、楽しくなるだけです

変化しないから不安定感を感じる

安定している時ほど、このままでいいのかと思う

 
このままでいいのだろうか。
 
 
という感情は
 
 
「安定しているほど」
 
 
「自分に変化がないほど」感じる不安定感。
 
 
それは、例えば自分の人生を
グラフにした場合
 

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ダメだったときでも、良かった時でも
 
 
上昇安定状態
 
下降安定状態
 
 
 
の時には、
 
 
「このままでいいのか」
 
 
という気持ちになる。
 
 

自分に変化を起こせ。危機的状況のススメ

 
 
人は本能の中に
 
危機的状況を乗り越えることで進化するという
 
根っこが植わっているんじゃないか?と思うけど
 
 
「危機的状況」というと「命が危険!」
 
ってイメージがあるかも知れないけど
 
 
そうではなくて
 
 
わたしは
「いつもと違う状況」のことを
 
 
そのように言っている。
 
 
それを自分に起こすことが
 
「ありのままの安定した状態」を
 
作ることになるんだろうと思っている。
 
 
以前
 
「ありのまま」について記事にしたけど
 
 
変化しない状態が不安定感を感じさせるのは
 
 
自然の生き物だから当たり前だし
 
 
変化していない自分を感じている時の方が
 
心が安定していないと思う。
 
 
 
不安定感を感じたくないとしたら
 
変化を起こすしかない。
 
 
そうやって、ずっと「ありのまま」で
 
居続けることが大事なんじゃないだろうか。

新しいことを生み出す方法

新しい商品を開発したい
 
新しいことをしてみたい
 
 
他にはない「新しい」事を見つけたい。
 
そう思う事はありませんか?
 
 
最近、ソフトバンクさんがやっている
 
 
地方創生インターン
TURE-TECH
 
 
 
というサイトを見ていた。
 
 
わたしも、九州の田舎出身だし
 
 
今年関わった選挙で、「地方創生」について
考えることも多かった。
 
 

TURE-TECHって?

 
 
この企画で、大学生が地方の地域医療の検診率を
 
今の30%から60%に引き上げる為の企画を
 
グループで考え提案するというものがあって
 
 
その地方の様々な分野の方のインタビューを行いながら
 
目的に対して革新的な企画を立案していく
 
というものだった。
 
 
地方の実情があまりにも想像と違うことや
 
新しいことを考えたつもりでも
 
自分達が考えたことなど、もうすでに行政も行っていたなど
 
 
挫折したり、考えを改めることもある中で
 
 
 
みんなで考え抜いて
たどり着いた企画の案が作られていくと言う
 
 
彼らの素晴らしい体験を目の当たりにした。
 
 
***

新しいことの生み出し方

 
「新しい」事を考えようとすると
 
誰も思いつかなかった事や、やらなかった事など
 
人目に一度も触れていないような
 
すごいものを想像してしまうから
 
 
最初は
 
なかなか見つけずらいと感じると思う。
 
 
 
だけど
 
 
例えばあなたが
 
 
「これはすごい!!!!」となるような
 
「新しい」を見つけようとしているとしたら
 
 
まずは、ツレテクでもあるように
 
 
その目的に関わる人やモノのことを一から
 
理解することから始めた方がいい。
 
 
そして、それを「理解」したなら
 
 
 
その様々な人や物から
 
「今までにない組み合わせ」を創る事
 
 
 
なぜ、そう言えるのか?って
 
 
 
私たちが「新しい」生命として生まれたのは
 
元素の組み合わせが今までに無かったからだし
 

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もともとあった元素に違う元素がくっついて
新しい物質が出来ているわけだし。
 
 
物事の本質を突き詰めて行くと
「新しい」と言うものは
 
既存にあるもの同士で
 
「今までに無かった組み合わせ」で出来上がった物
 
 
最初はただの新しい物でも
 
「それがなんであるか」
 
と言う名前を付ける事によって
 
 
世の中にその「新しいものが」が定義される。
 
 
車もそうですよね。
 
 
既存にあるもの同士を
 
今までに無かった組み合わせで作って
 
ニュータイプの車が出来上がる。
 
 
それに「新型●●」と言う名前を付ける。
 
 
でも、そのうちそれは
 
「●●タイプR」なんていう名前に変わり
 
 
 
また、次の「新型●●」が出来上がる。
 

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でも、それは
全くなかった。と言う物質などなくて
 
もともとあった「物質」から
 
全くなかった「組み合わせ」で作られたもの。
 
 
もし、今「新しいもの」を作ろう
 
生み出そうと考えているとしたら
 
 
今、自分が目的としている事に関わっているものを
 
一から「理解」し
 
 
それらを把握した上で
 
「組み合わせを変えればいい」とい事になります。

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そうやって
 
世の中にあなた自身の「新しい」が生み出されて
行くのを楽しみにしている人が必ずいるはずです。

今日が人生で一番のピーク

大好きな言葉
 
 
「一日一生」
 
この一日を一生やと思って過ごす。
 
 

今日が人生で一番のピークで

 

 

明日が来れば

 

その日がわたしの一番になる。

 

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****
 
 
わたしは人に会うのが億劫だった。
 
出来れば人に会いたくないし
 
1人でいたい。
 
気を使う事があったら疲れるし
 
家でじっとしておいた方がいいって
 
思うことの方が多かった。
 
お祭りとか人ごみも嫌いやし
 
 
出来れば静かな所にいたい。って思ってたし。
 
 
人と関わるのは嫌いやし
 
なんかいらん事話するのも聞くのも嫌やし。
 
 
だけど、人に会うことも話す事も
 
できんくなったら、どう思うんやろうな。
 
って、本気で考えたら
 
やっぱ。寂しいって思った。
 
 
 
「なんだ。寂しいんやん。」って
 
 
今はもう
そんな事すら考える事もなくなったけど
 
 
****
 
 
ただ、なんていうか。
 
なんか面白い出会いがあるかもしれないっていう
可能性と言うか
 
そこに何があるのか?っていう発見は
 
 
チャンスが来ている時に
見てみよう。と思う。
 
 

今日、自分に一番に見せたいものは何だろう?

 

 

ってそんな風に考えるようになってから

 

 

わたしは随分と動けるようになった。

 
 
****
 
 
世の中の事をなんにも知らなかった
 
子供の頃は、今日何をするのか
 
何が起こるのか
 
楽しみにしてた時があったから
 
 
大人になって
 
なんか、世間とか、人とか、物事と言うものを
 
知った感になってただけなんやな。って
 
 
思ったら
 
 
なんか勿体無く思えてくる事の方が多いって気づく。
 
 
 
今日一番自分に見せたいものを見せてやろう。
 
 
なんも特別な事なんてなくても
 
全く日頃と変わりない
 
帰ってご飯食べて寝るだけのことの中でも
 
 
今日
 
一番に自分に見せたい風景にするとしたら
 
どうやってこれを楽しんでやろう
 
 
 
って考えてみるのはどうだろうか

感情。時に拒否して時に魅力的な存在。

感情表現が豊かな人って
 
「場を明るくする力」みたいなものを感じる。
 
 
 
子供を見ていてもなんだかそんな思いにもなるし
 
あらあら・・・・
またまた・・・・・
 
なんて、思いながら何となく笑えて来て
次はどんな変化を起こすんだろうとワクワクして
 
 
見ていて飽きない。
 
 
 
だからといって、大人になってそれを
感情任せになんでも振る舞えるかといったら
 
 
そうでもなくて
 
 
 
出しすぎず、出さなすぎず
 
「感情嗜んでます。」みたいに
 
スマートな表現の仕方を求められるわけで。
 
 
 
出来るか!!!!!!!!!!!
 
 
 
わたしは大人のような子供ですから無理(逆コナン)
 
 

握り締める感情の当たりとハズレ

 
 
生きていくためには
この感情はもれなく付いてくるので
 
当たりもハズレも両方あるよね。だし
 
「ハズレなのでいりません。」と拒否できない。

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ただ、拒否するのではなくて
 
「あ。ハズレだった。次。」と
 
軽やかにハズレをスルーしてしまうことも出来る。
 
 
 
ハズレくじを大事に握り締めて
 
「あ~なんでハズレを引いてしまったのだろう・・」
「この確率はこうだから、何百分の一で次は当たりが来るだろうか」
「このハズレくじはどこから来てどうやってなくそうか」
 
 
って考えてるのを想像したら
 
 
それって、とっても時間の無駄だと気づく
 
(きっと手放せないのは罪悪感)
 
 
わたしは大事に大事に握り占めている側だったので
もうしばらくハズレしか見ていません。って状態が続いて
 
 
バカバカしい事をずっとやってきた
 
 
「次。ありますけど」って
潜在意識がどんなにサインを送って来ても
 
目の前にある「この感情ハズレ。」と書いたくじを見つめ続けてきた
 

感情は物質

 
メンターは「感情は物質である」と言った
 
エネルギーだから。
 
目には見えないけど、たしかに命を回している
 
 
 
見事にエネルギーをストップさせていたのは
それを見つめ続けて、握り締め過ぎて、次次に
やってくる流れを止めてしまっていたわたし。
 

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そして、あれこれ考えて
思いを発展させて感情を増幅させる
 
詰まって当然だった。
 
 

それは必ずだれかの役にたつ

 
人には、本当に辛い出来事があるし
立ち直れないと感じるほどの挫折もある。
自分はもうだめだと絶望するときもある。
 
 
そんな出来事が
 
悲しみや、苦しみや、恐れや、不安の感情をもたらす
 
 
だけど、生きているからそれを感じていて
その体験は必ずだれかの役に立つ
 
 
負の感情の逆には
 
勇気や、愛や、喜びや、挑戦や、嬉しさや、楽しさがあって
 
 
それを受け取れる準備はもうすでに出来ているし
 
 
もれなくあるのは間違いないから。
 
 
ただ、次。
 
そうやって感情を動かす。というだけ
 
 
簡単に出来ないという理由があるとしたら
そこにはきっと
 
 
それを感じ続けて自分をいじめる事で
 
本当に得たいものが得られると勘違いしているのかもしれない。
 
 
「それは一体なんなんだろう」
 
そう考えたら
 
自分が本当は欲しかったものが
見えて来るかも知れない。